ほだかさんそう

花本ほだかのはてな小屋。山小屋の「山荘」と「ほだかさん想」でかけている。

働きたくなくて泣いたことがあるという話

大学時代、就職活動にとても長い時間を要したことを深く覚えている。

私たちの世代は、ちょうど経団連が何を血迷ったのか就職活動解禁日を後ろ倒しで調整していた頃で、長くかかった私は卒論のラストスパートとどんかぶりして、締め切り前の72時間一睡もせず仕上げるハメになり大変しんどい思いをした。学生の本分とはなんだったんだ。本当に。

とは言え、私の学生生活が学業メインであったかというとそうではなかった。4年間、就活の時間以外は全部演劇をしていた。

演劇の稽古をするために片道2時間かけて毎日通っていたと言っても過言ではなかった。

昔から絵を描いたり小説を書いたりと、一人で趣味として創作をやっていたものだが、演劇に出会ってからというもの、チームで1つの作品を作っている楽しさに触れ、とてつもなくのめり込んだ。役者として芝居をするのも、スタッフワークをするのも楽しかった。

今まで生きてきた中で、一番好きなことかもしれないと思った。

 

大学演劇部に所属していたので、時が来ると引退することになる。就職活動や卒論に集中するためだ。

すっかり「作品を作ること」が生きがいになってしまっているように感じて、就職活動もそれを重要視して企業を選んだ。大変だ、辛いぞ、なんて話を聞いてもどうでもよかった。私は作ることで食べていきたいんだ、と非常に漠然とした想いだけが突っ走っていた。定時があるような職業はほぼ受けておらず、今振り返るとテレビ関連ばかり受けていたように思う。元々テレビっ子だったので興味があったのと、その他出版や商業演劇のようなジャンルはESで弾かれ、テレビしか通らなかったとも言える。

「作る」って言ったって、色々あるのにね。

地元福岡から、LCCを使って何度も東京に通った。夏、秋、冬。内定ゼロのまま季節がいくつも無情に過ぎた。

周囲が就活を終える中ひたすらに続けているのは流石に気が滅入ったし、親にも心配をかけていた。就職浪人や、専門学校等に再入学することも相談していた。

若干諦めの境地に入ってしまっていた年末の頃、視野を広げて受けていた都内のCM制作会社に内定を貰えることになる。

ぶっちゃけた話、毎日将来のことで悩むことに疲れていて、もうなんでもいいやと思っていた。就活が終わったのが嬉しくて、内定の電話を受けながら少し泣いた。

しかし、そんな思いでやっとこさ入った会社だが、入社して半年が過ぎたあたりから心が折れてしまう。仕事自体は刺激的で楽しかったように思う。最先端の映像作品に触れられたし、下っ端の自分が何かできたわけではないけれど、有名なカメラマンさん、演出家さんと仕事ができて嬉しかった。へこたれた理由は振り返ると沢山あるが、一番の理由は職場の人間関係だったと思う。飛び交う怒号とか暴力とか。そういうのが横行してる業界だって聞いてても、納得できなかった自分がいた。36時間連続労働だとか、帰れない日もあったけど、同期や先輩に比べたら安定した暮らしを送れていた方だし、突然の休日出勤で演劇のチケットが何枚も紙くずになったけど、それでも本当に行きたい公演には行けていたから、大丈夫なつもりだった。でも、他にも色々重なって結果的に体調を崩し、働くことが難しくなってしまった。

会社に迷惑もかけたくなかったし、元いた場所に戻ることも怖くてできないと思った。入社して一年経った春、職場関係の連絡先を一旦全部消去して、全部綺麗さっぱりやめる選択をした。

結局のところ、私は「作る仕事」に向いてないのかもしれない。

できないのかもしれない。

退職した事実がそれを決定づけているように感じて、目の前が暗がりになった気がした。

縁もゆかりもない東京で、貯金を崩しながら生きる。福岡に戻るためのお金もなかった。ギリギリの中スキルも何にも持ってない若者が再就職できる場所を探した。本当に厳しくなったらバイトでもなんでもやろうと思った。

自分にできそうな仕事ならなんだって取り組みたい。ITも、人材系も、よく分からないけれど、自分にできるんだったら。

元気に働ける証明が欲しい。そのために頑張らせてほしい。

エントリーだけなら80社近く出しただろうか。実際に面接まで行ったのが10社ほど。

フタを開けると、出版社やゲーム制作会社、芸能事務所など、「定時がない」でお馴染みな空気のところしか先に進まなかった。一度似たようなジャンルで挫折した人間としては、選ぶに選びづらい仕事ではあった。

そんな中、大学時代からよくしてくださっている演劇部の先輩が、空いている内勤のポジションがあるから働かないか、と声をかけてくださった。

IT企業で、お話を伺うと沢山勉強が必要そうだったが、有難い話だな、と思い考えさせていただきます、とその日は帰った。

昔から歩くと考え事が捗るからと、無職期間中、毎日12キロの散歩をしていた。その日の帰りも歩いたのだが、そういえば以前新卒で就活がなかなかうまくいかなかった時、その先輩と電話をしていて、大泣きしたことがあったなと思い出した。

「就職決まらないんだよね」

「ジャンルを絞らず色んなところも受けてみるべきだよ」

「応援してるから頑張れ」

先輩がとても真面目に真っ当なアドバイスをくれるのに、電話先で

「ゔぇぇぇんはだらぎだぐないでず、はだらぎだぐないよぉぉぉ〜〜」

とアホみたいな慟哭を披露してしまった。

正確には働きたくないんじゃなくて、「作る」仕事以外につくのが嫌だというニュアンスだったんだけれど。

今考えるとすごく若いなと思う。

そして、創作をする人はみんな等しく呪われていて、割り切れるやつと割り切れないやつでは、人生が全然変わるんだろうなと思う。

人にも恵まれていたから、演劇がとても楽しかった。作品を作っている時間が幸せで大好きだった。このまま時間が止まればいいのにと何度も思った。そのモラトリアムの思い出が私を現実に押し出してくれない。

じゃあ働かずに演劇やるのか?となると、これはかなり難しい。演劇で食っていくことが難しいのはもちろんだが、その前段階で、これまで大学演劇部という誰でもウェルカムなぬくぬくなところにしかいなかった人間が、劇団等のオーディションを受けまくるのも想像できなかったし、役者がやりたいのかと言われるとそこまで思い切れない「まとも」な自分がいるのもちゃんと知っていた。結局のところ、そこに立つための熱意も覚悟も欠けているって、自分で分かっていたのだ。

 

夕暮れの帰りみち、その日のことを思い出して少し笑った。

「ちゃんと働くの、泣くほど嫌だったんだなあ」

なんてクズな発言なんだろう。

それと同時に、こうも思った。

またへこたれてもいいから、ちゃんと「作る」仕事にしないと、きっとまた後悔する、と。

そんな過去の自分がきっかけで、気持ちの切り替えがようやくできた。

覚悟を持って作る仕事を目指そう。せっかく今興味を持っていただいている企業さんに、あわよくば入れるようにしよう。

 

正しい道なんて1つも分からなかったし、この先も分かる気はしないが、最終的には運良く出版社から内定をもらった(本当にまぐれか何かだと思うけれど……)。

転職してからはあっという間で、確かに大変なこともあるけれど、毎日楽しく仕事ができている。頑張ればやりたいことがちゃんとできるという実感がある。

問題なく進めば、もうすぐ担当一冊めの本が出る予定。

近い将来、自分が何をして暮らしているかは分からないけれど、少なくとも自分の本当にやりたいこと、その気持ちに嘘なく暮らせていれば良いなと思う。

ブログ以外のあれこれはGendarme△で。花本ほだかの創作置き場です。