ほだかさんそう

花本ほだかによる総合学習はてな小屋。山小屋の「山荘」と「ほだかさん想」でかけている。

火災で失われた母の生家を追憶する話

年末年始、いかがお過ごしでしたか?私は祖父母の家に帰省してました。

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年明け食べたいのししもなか。かわいいでやんす。

さて、去年の前期の朝の連続テレビ小説「半分、青い」。完走はできなかったんですけど、すずめちゃんが漫画家目指してた辺りまでは見てました。登場人物の口調が独特なドラマでしたね。

かなーり前の話になってしまうんですが、朝ドラ恒例一、二週目の子役パートの中で、中村雅俊さん演じるおじいちゃんが「ここ、来い!」と言いながら自分が寝ている布団を開けて、小さい孫2人がわーって飛び込んでいくシーンがあってですね。

それを見たときに、うわ、これ私もじいちゃんに言われたことある!布団入ったことある!と強烈に思い出してしまって。それまで存在さえ知らなかった記憶の鍵が急にメリッとこじ開けられてですね、なんだかよくわからないんですけど涙がドバドバでました。

「ここ、来い、ここ、来い」

こうしてセリフが一致してようやく思い出すことってあるんだな、と思いました。

逆に、こういうきっかけがなければ忘れていく一方で、いつか何もかも消えてなくなってしまうのだろうなという切なさが込み上げました。

そんな母方の祖父が亡くなって10年。小さな頃から遠方に暮らしていたので、年に3回会えたら良い方だったかな。晩年は病気の都合上、家族のことも分からなくなっていたから、私が覚えている祖父の姿はもっと前の姿で、そして非常に断片的いうことになります。

加えて母の生家でもある祖父母の家は、まだじいちゃんが生きていた頃に火事で全焼してしまい、写真やら何やら全部なくなってしまっていて。

流石に母とは比べ物になりませんが、私にとってもたった十数年間とは言え、幾度か通った、思い出のある場所だと感じていて。

私自身は転勤族で、小学校を卒業するまでは全国を数年おきに転々としていたんですけど、どんな家に住んでいたか、断片的には思い出せるけれども、きちんと構造や、そこで過ごした印象を思い出せる家が一軒もないんですよ。

きっと明日の私よりも、今日の私の方が祖父母の家がどういう場所だったのか覚えている。

これ自体は間違い無いと思うので、取り急ぎブログにテキスト化して残しておこう、と書き始めた次第です。

 

そもそも私は、変化に耐えられないタイプの人間なんですよね。諸行無常がとてもきつい。学生時代、通学途中の国道に新しい家具屋が出来たんですけど、その「変わってしまった事実」がしんどすぎて、帰り道のバスでボロボロ泣いたことがあるような人間なんです(やばい)。

3.11の震災の後、津波で全部なくなってしまった街の駅前を、3DCGやらVRで復元するという取り組みをNHKの何かの番組で見たような気がするんですけれども、あれって本当に大切な取り組みだなと勝手に思っていて。

なんか最近日本全国災害の連続でボコボコですけど、技術革新が人の心を救うこともきっとあるよね。ど文系の私が何かできると言うわけではないのですけれど、勝手にそんなことを思いながら、母の生家について、未来の自分のためだけに記します。

 

外観

木造の建物。しみじみ見たことがないからあまり思い出せない。玄関までの坂道はコンクリートで、半分階段、半分スロープ。それを登ると玄関で、左側に目をやると洗濯物干しがある屋根付きのスペース。外壁のブロックから蔦がたくさん伸びていて、葉っぱの形に影が落ちる。居間の窓を開けるとここに出られるようになっていて、外のデッキの端っこにオロナミンCと甘いBOSSの缶コーヒーの箱が置いてある。冬場はここで冷やしていて、よくもらって暖かい部屋でいとこたちで飲んだ。いとこのお姉ちゃんがオロナミンCに卵黄入れててびっくりした。マグカップに入れて作ってもらったけど、あれちゃんと飲みきったんだっけかな。

洗濯竿はくすんだ青色。漁師のお家だから、端っこに網やバケツや使わなくなった長靴が転がってる。私が生まれた後入れ違いみたいに亡くなったわんこは、このスペースと玄関の間のところに犬小屋があってそこにいて。魚の骨とか、何でも食べたって話です。

 

玄関

ドアをガラガラと横に開けると、真っ先に目に飛び込んでくるのが般若とおかめのお面。ザラザラした素材の緑っぽい壁に並んでかかっている。小さい頃は怖かった………。夢に出る。

木製の立派な下駄箱の上には電話帳が積んであって、入って左側に白い固定電話。

足元はいろんな形の石が敷き詰められた床。タイルっぽくはなかった。

 

居間

玄関に上がって正面のドアを開けると居間。こたつとテレビとストーブと、カチカチゴンゴン鳴る振り子時計。30分にゴーン、1時間限りでその時間の数鐘がなる。この家のどこにいても聞こえる、この家の音。部屋は畳。

ごついテレビのとなりにのらくろを女の子にしたみたいなキャラクターの黒いゴミ箱がある。そのテレビの前に飼ってたミニチュアダックスのご飯とお水。毎日唐揚げばかり食べてた割に長生きしたな……(もらってきた子だったから、正式な年齢は分からなかったけど)。ぬいぐるみをズタズタにして遊ぶタイプの子で、初めて会った時はぬいぐるみを死ぬほど投げて遊んだ。小さい身体ながらちゃんと番犬する子で、知らない人にはバウバウ吠えるんだけど、たまにしか会わないけどちゃんと覚えてくれてて、人懐っこくて可愛かったなあ……。よく家の近くの坂道とか、廃線を配備した散歩道とか、一緒に歩かせてもらった。ストーブは火がゴウって出るタイプのやつで、冬場はそこでほたてやお餅を焼いたりして。こたつのコードは朱色。子どもだけで泊まりに行くと、これに毛布を追加してばあちゃんと弟と寝た。ミニチュアダックスはよくこたつの中にいた。暑くなかったんだろうか……。

こたつの上にはチラシを折って作ったゴミ箱がいつもあった。カレンダーは日めくり。壁によく使うところの電話番号と、連絡船の時刻表を書いた紙が貼ってあって、随分くすんでいた。

親戚がみんなこの部屋に集まってどんちゃんしてた時期もあったけど、はるか昔のことのような気がする。

 

いとこのお兄ちゃんの部屋

魔境。玄関入って右側のドア。赤っぽいカーペット。中心にはテレビ。64があった印象。このお兄ちゃんにポケモンのレッド版をもらった。お兄ちゃんはずっとテレビでゼルダやってた。テレビの他のところは、紙や漫画で埋まってたと思うけど、たまにしか入らなかったから、よく思い出せない。

 

廊下・トイレ

居間を抜けると細い廊下が横に伸びる。今から出てすぐ左側がトイレ。ドアが木!って感じの風合い。汲み取り式。後年は洋式カバーをかけたけど、長い間和式だった。

 

ダイニング

居間から出てすぐのところ。結構広かったと思う。右側にテーブルはあるけど荷物置きになっている。割り箸がいっぱいある。水場の窓の前にグラス置き。コンロはアルミで囲いがしてある。緑色の古い冷蔵庫は、漁師さんということまであり冷凍庫の方がぎっしりになっている。ばあちゃんに作ってもらうオムライスがとてもとても好きだった。弟はタコ飯が好きだった。

 

洗面所・風呂

ダイニングを抜けて進むとある。白いタオルがとにかくたくさんあった印象。叔父がここに住んでた頃は洗面台に髭剃りとか。全体的に水色の印象がある。

入って右側にある風呂は黒いタイルに囲まれた割とビビッドな空間。銀色の湯船には緑色のヒノキの香りがするお湯。とにかく温度が高いので冷ますためのかき混ぜ棒があった。シャワーは赤と青の蛇口をひねってうまい塩梅の温度にするんだけど、とにかく適温にするのが難しいので、子どもだけで使うのは危ないからダメって言われてた。私も熱い思いした経験があるので、未だにこういうスタイルのおうちのお風呂には恐怖心がある。

 

謎の部屋

居間を出て、ダイニングの隣にあるいつもガラス戸がしまっている謎の部屋。多分クローゼット扱い。服がここにあったのだと思う。ほぼはいったことがないので、全然分からない。

 

じいちゃんの部屋

謎の部屋を左手に廊下を進むと、正面にいとこのお兄ちゃん部屋があって、それを左に進むとあった祖父の部屋。畳。真ん中に布団、万年床なイメージ。小さなテレビがあって、BS時代劇をよく見ていたような気がする。じいちゃんの枕元にはタバコと灰皿と山崎の薄皮クリームパンがある。薄皮クリームパンが大好物でマジでいつもあった。たまにもらった。お葬式の時もコンビニで買ってお供えした。

じいちゃんは革ジャンとかギラギラした指輪をつけた郷ひろみ感のあるイケイケジジイだったんですけど、心筋梗塞で心臓破裂した後寝たきりになってしまい、晩年は認知症でよく分からなくなってた。認知症でもお酒とタバコは続いてて、火事の火元はこの部屋。ばあちゃん、よく寝たきりのじいちゃん引っ張り出して逃げたなあと思う。あの日どうだったかとか、私から聞くことは後にも先にも、ずっとないと思うけど。

 

階段

L字になってる。踊り場まで登ると、左側に折れる。傾斜が急。登り切ると、水槽のブーン、という音がする。緑の水草の中を綺麗なオレンジの金魚が泳いでいて、黄色に白い犬の金魚の餌の筒の柄があしらわれた大きなドラム缶みたいなものが置いてある。

 

叔父の部屋

階段を上ってはいったところが叔父の部屋。こたつと立派なテレビ、ベッド。コンポ。水槽がこの部屋にももう一つ。全体的に黒くてスタイリッシュなインテリア。灰皿。叔父は自分専用のラーメンどんぶりを持っていた。中華風の柄が入ったやつ。それでちゃんぽん麺を食べるんだけど、子どもの頃見たものながら私の中にずっと憧れとしてあって、一人暮らしを始めた時にちゃんとしたラーメンどんぶり買っちゃった笑

 

和室

叔父の部屋を抜けると和室。私たち家族が帰省するとこの部屋で寝ていた。襖の奥には布団。床の間に日本刀。叔父の部屋とは襖一枚で、その上は飾りがついた木の飾り。その前に額縁に入った表彰状がずらりと並んでいる。たしか祖父宛で、海の上での救命に関して。母も子供の頃漁について行って、船の上でりんご食べてたら海に落ちてしまって、あみで引き上げられたことがあるみたいなことを言ってましたね。

 

あ、終わった。これで全部の部屋だと思う。

火事の後、祖父は病院の中の施設に入って亡くなるまで過ごしました。祖母は近くに借家を借りて今も住んでます。

家があった場所はそのまま土地だけになって残っているみたいだけど、母の気持ちもあって近づかなくなったので、もう10年くらい見ていない。

全部片付いた頃に一度行ったけれど、ほんとに一瞬だけだし、ほんとに何にもなくなってたから、初めて行く場所みたいで、記憶の上書きもたいしてされなかった。

私の中であの家はまだあの場所にそのままあるような気がしている。

 

幼い頃この家の居間に集まってワイワイしてた少し年上のいとこには、今はみんな子どもがいたりして、年末年始やお盆に会う人たち、会う場所が親戚の中でも変化が生まれつつある。

住む場所も、家族も、生きていればどんどん変わって行くから、なんとなく暮らしてたら全部思い出せなくなるのかなってちょっと怖くなってしまった。

あの家には、あの場所にはたまにしか行けなかったけど、これまでしてもらったことは覚えてるし、どうにか返せたらいいのにって思っているけれど、私が何かできるくらいには、たくさんのことが足りなくて、距離も遠くて。

家族や親戚に話したことなんて一度もないけど、そういう面においては、年末年始やお盆のたびに、歯がゆく、刺すような苦しさを感じていたりするのです。

会いに行くだけでいいなら。今のところできそうなことはそれくらいなので、私は次の長期休暇も、祖父母に会いに行くのだと思います。

 

ブログ以外のあれこれはGendarme△で。花本ほだかの創作置き場です。