※このブログは『蜜蜂と遠雷』
日曜日の夜、港区赤坂の某イタリア料理店。
私と友人は、ふたりで赤坂ACTシアターに『ファントム』
「ねえ、はなちゃん。『蜜蜂と遠雷』……観に行かないの?」
蜜蜂と遠雷、完全に見そこねたな
— 花本ほだか🔧(クレオパトラ期間中) (@hanamotohodaka) 2019年11月6日
もう行ける回なさそう……
私のツイッターのフォロワーでもある彼女は、
「
クッソつまんねえ返答を聞いた彼女は、「そっか……」
「原作がすごく良くてね、
と微笑んだ。
これはキラーワードである。
私は「人生で出会ったものの中でも指折り好きな作品」
友人のような興味のある相手であれば尚更である。
これを観ずして死ねるだろうか(いや死ねない)。(反語)。
彼女は恩田陸さんが書かれた原作を読んでクラシック音
その際に
「私はねー、ショパンの「バラード第1番」
と口について出たのだが、その時それと同時に、ああ、
ふとTSUTAYAの棚を眺めれば、(
初めてその曲を聞いた時、
笑い事ではない。年齢的な力も大きいかもしれないが、
だから私は『バラード第1番』がどういう経緯で作られた作品なのか知
私が小中学生の頃の我が家では、
「ねえお母さん、
いくら中二病の自覚があれど、
ではこの感動を誰に共有すれば!?
Tさんとは毎日何かしらの楽曲をハモリながら帰路を共にしていて
当然私は『バラード第1番』を聴きながら「今です!」
さて、話を『蜜蜂と遠雷』に戻そう。調べるうちに原作小説が本屋大賞と直木賞をW受賞していることもわかり、すっかり脳内がこの作品みたさでいっぱいになってしまった私は、近郊の映画館の上映スケジュールを仕事の休憩中に漁りまくっていた。仕事帰りに行けそうな立地の映画館にほどよい時間帯から始まる回を発見し即座に予約。帰路とは反対方向の電車に乗って、いざ劇場へと向かった。
本作は、ヒロイン亜夜の幼少期の記憶が描き出され、始まる。
ショパンの前奏曲、『雨だれ』を母と子でつま弾きながら、やがて青い世界に、いつもより大きく見える雨粒と、鼻息さえこちらに伝わってきそうな勢いで駆ける馬のスローモーションという情景がスクリーンいっぱいに広がる。
この映像は、彼女の音楽性の根幹にあるもの、原体験であったと読み取れるものであり、
「これって私にとっての天使のはしごじゃん!」
としょっぱなから心をがっつり掴まれてしまった。というか、なんて信頼できるんだ、と心を寄せてしまった感じがあった。
物語は日本で開催された国際的なピアノコンクールを軸に、四人の天才ピアニストの友情、愛情、各々の葛藤、戦い、を演奏に主体を置いて展開されていくのだが、映像から入った身としてはこの作品の原作が小説であることがちょっと信じられない。それほどにずっと、音楽が鳴っている。
私は4歳から18歳までピアノを習っていた。コンクールにも出場経験があり、それこそ誰の印象にも残らない演奏しか披露できなかったのだが、コンクールの緊張感、ステージに立った時の感覚を疑似体験しては胸がきゅっとなった。
習わせてもらってなんだが、ピアノに関してはかなりの不良少女で、とにもかくにも練習が嫌いな子どもだった。今振り返ると発表会の類は大の苦手で、暗譜にも自信がなく、演奏の途中で頭が真っ白になって演奏を中止してしまったことがある。わかるところまですっ飛ばしてちゃっと弾いてばっとお辞儀して逃げるようにステージを立ち去り、へらへら「やっちまったぜ〜」みたいにおどけていたが、足がガックンガックンしていて目もキョドリまくっていたので、周囲の大人たちは敗者たる私に優しかった。
当時、普通に練習が足りてないから緊張するんだよな、と思っていた。絶対完璧にやれるっていう自信がつくほど練習すれば緊張しないのに、と。中学の頃の合唱コンクールの伴奏はべらぼうに緊張したけど、いつも全校集会の時に弾いてる校歌の伴奏はめちゃくちゃ簡単な譜面ってこともあって緊張せんし、みたいな。
愚か……実に愚か……。
実際はそういうことじゃなくて、一瞬ごとの芸術は、その一瞬にかけなきゃいけないからこそ緊張するのである。その際たる例がコンクールだ。
譜面通りに弾けるのか?仕上げてきた技巧がいつも通りに再現できるか?環境も違う状況で?大勢に見られながら?そして、自分の音を楽しめるのか?
練習が足りてない人は、同じ土俵に立つことさえ許されない。
『蜜蜂と遠雷』の作中のセリフで、子持ち会社員ピアニスト明石が、妻に「1日くらい練習を休んでは」と言われ、こう答えるものがある。
「1日練習を休むと自分が気がつき、2日練習を休むと批評家が気がつく。3日練習を休むと聴衆が気がつく」
ピアノに関してはおさぼり大魔神だった私だが、実はつい先日これに近いことを我が身で体験していた。というのも、この春から、歌を習い始めたのである。
そろそろ社会人生活にも慣れてきたし、自分が好きなこと、そうだな、音楽とかについてまた勉強したいな、と思い立って、初期投資がいらない音楽活動がこれだったのでこれにした。楽器なしでいける。これはアド。
ただし防音設備のない集合住宅に暮らす人間として、家で全力の練習を行うことはできないので、出勤前に週に2度カラオケに通うことにした。ところが社会人生活は割と過酷なので、深夜帰りで朝早起きできなかったり、どうしても気分を乗せきれなかったりで1週間ほどサボってしまうことがある。するとどうなるか。
自分ではっきりわかるほど、ド下手になる……。
具体的には1週間休むと平均点が4点落ちる。
敬愛なるさだまさし氏が以前、詳細は忘れてしまったがおそらくバイオリンについて
「くだりのエスカレーターを駆け上がっているようなもんで、毎日練習してやっと現状維持ができる」
と話していたことがあり、それについても同時に思い出して至言すぎるなと噛み締めた。
そんな風に、作中毎日死ぬほどピアノ練習してたんだろうな、それだけでも尊敬に値するな、という登場人物ばかりが出てくるのだが、映画を見ながら、芸術活動を極めるに当たって、黙々とひたすらに練習を重ねるという行為がどれだけ尊いかを考えていた。
そもそも、自分と向き合うっていうのは、それだけでも結構カロリーが重いというか、しんどい作業だ。できない自分はもっとやだなと思う。できるようになるまで練習する。やる。努力する。でも途中で、何が正解だったんだっけ?とか分からなくなったりすることもあると思う。明確に指示してくれる先生がいて、なんなら「人のせい」にできることで安心できることだってあるのかもしれない。
芸術に限った話ではないが、努力に応えるのも、昨日までの自分を裏切るのも、全部自分だなんて、こんなに怖いことはない。
『蜜蜂と遠雷』の登場人物には様々なパターンがあって、それぞれみんな己の音楽論を胸に秘めて戦っている。「生活」を表現したい明石。決められた正しい音楽ではなくて、ゼロからの創出を目指すマサル。神様が遣わした少年・塵にとっての音楽は、論より心と体!という自然み溢れる感じだが、その音楽性こそがこの作品のトリガーであるし、この物語の本質は、ヒロインの亜夜が己にとって音楽とはなんだったのかを思い出すところにあって、我々はその観客だ。亜夜はクライマックスシーンで「覚醒」し、美しいドレスを纏って観衆の前に立つ。
そして全身で、彼女の音楽を体現する。曲名は、プロコフィエフの、ピアノ協奏曲第3番 ハ長調 Op.26 第1楽章ーー。
ドレスといえば、私はピアノの発表会で唯一好きだったことがあった。いつもカジュアルな格好で会う先生たちが、発表会の演奏でドレスアップした姿を見ることだ。身体、特にしなやかな細い腕がステージに映えて、伸びる指先は美しい旋律を奏でる。これまで子どもたちの愛らしくも稚拙な演奏に付き合ってあげていたグランドピアノが、その真価を見せつけようと、輝くような音色で歌い出す。
その姿がどうして好きだったかって、それは紛れもなく、その光景があまりにも非現実的で、美しかったからだ。
この時の松岡茉優さん演じる亜夜は、ステージの袖に登場した瞬間から、女神のごとく美しい存在だった。
作中でもっとも強い精神性を持ってそこにいた。
ある種、どこか別の世界に連れ出してくれる、「人ならざるもの」みたいだった。
彼女の登場からエンドロールの瞬間まで、観客の呼吸が彼女の演奏に支配される。
「ブレス(息)して!」
学生時代、先生に何度も言われた。ピアノは、呼吸が大事だと。楽器だけど、歌うことには変わりない。
だから、吸って、歌う。
音楽は呼吸とともにあって、スクリーン前の私たちを惹きこんで、支配して、自由にしない、そんな勢いが、亜夜たちのたった一度しかない演奏にはあった。
こういう、「音楽」の「人間が作った証」みたいなところが、私は大好きだ。
やっぱり音楽って、人間が作ったものであって、神様が贈ってきたみたいなものでは、ないんだねって。
映画を見終わった後、「は〜……」「は〜……」と謎の呼吸を一人繰り返していた。
いい作品を見たという感動とか、役者の演技力にぶん殴られたとか、要素はいっぱいあったけど、やはりあの演奏シーンの気迫は、尋常ではなかった。
一度きりにかける情熱。一度きりの音楽。だけど、それは心に残って、永遠にもなりうる。それを強く実感できた時間だった。
*
実は花本、これを機に、真面目に音楽をやってみようかと思っています。
取り急ぎ歌のレッスンで最初に習った「涙そうそう」のオケを作り、歌の録音もしてみた。こちらが確認のVTRです。
ひえ〜!
今後は音楽の研究もしつつ、あわよくば新曲のたびにちゃんとイラストを描きおろしたり(今回はポストカード展に出展するにあたって描いたもの)、動画も凝れるようになったらいいなと思う。
久々に鍵盤に触れたし、歌も打ち込みもミックスもまだまだ全然上手じゃないけど、作っていて本当に楽しかったです。これをワールドワイドに公開するっていうのは、ちょっと緊張感があるなぁ……。あと、何回も自分の演奏を聴いて諸々調整しなきゃいけないのは結構気が滅入りますね。メンタルがべこべこになる。
なんにせよ、まあ、聴いていただければ分かるように(?)下手ゆえに「のびしろ」だけはあるんじゃないかと信じてやまないので、とにもかくにも、スローペースでも、作って、発表して、成長していけたら良いなと思っています。
映画『蜜蜂と遠雷』は、私にとって、ひとつのギフトになるかもしれません。ギフトになるかどうかは、自分次第ですね。
これでみんな「原作はいいぞ」っていうんだから、小説すごいんだろうな〜。以上、おしまい。
これ、ちょっと欲しくなってる自分がいます。
おまけ
・タイトルに「蜜蜂と遠雷」を入れるかどうかすごい迷った。感想を求めていた方、ごめんなさい……。
・都内では続々と上映終了する中、キネカ大森では11月22日から上映開始だ!みんなで行こう!