ほだかさんそう

花本ほだかによる総合学習はてな小屋。山小屋の「山荘」と「ほだかさん想」でかけている。

私は物語の何に感動して泣くのかを考えた話

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深夜3時。

仕事で山場を迎えている案件があって、何にも終わってないけど、きりが良くなったから終わったってことにして職場を出てきた。

今日のタクシーの運転手さんは、物腰柔らかなおじさんだ。カーステレオの昭和ソングはおそらくNHKラジオ深夜便だろう。エンジンの音にかき消されない、ギリギリの絞られた音量でアコーディオンが鳴っている。

「今日はやっと、雨が上がりましたね」

確かに路面は濡れているが、今は降ってはいないようだ。都内ではここ数日、梅雨らしい鉛色の天候が続いている。朝方少し晴れ間が見えたかな、と思っても、夕方には降られるので、折り畳み傘が欠かせない。

「そうなんですか、今日は一日屋内にいたので気づかなかったですよ」

我ながらなんて味気ない返事をしてしまったものだと思う。

「今日もね、しとしとと降ってました」

しとしとと。私はしめっけがありながらも、どこか上品な匂いのするこの擬音語がとても好きだ。霧雨の情景が肌で感じられ、空気が潤う。そんな言葉を選んだおじさんに私は簡単に好感を持った。彼は天気の話を続けている。

「ここのところ毎日降ってますね」

自分がこのおじさんに気を許しているのが分かって、いらない個人情報を付け足したくなった。

「そうなんです、だから洗濯物が干せなくて」

「そうですよねえ」

天気。人間の気持ちまでもを揺り動かす、この星の強制力を持った事項のひとつだ。

天気といえば、仕事で行けるのかどうか雲行きが怪しくなりつつあるのだが、新海誠監督の最新映画「天気の子」の世界最速上映のチケットが取れた。なんでも離島から東京へ出てきた家出少年と、祈ることによって天気を左右できる少女の物語とのこと。日経の記事で監督は「賛否が分かれるものを作った」と話していたが、対してプロデューサーの川村元気氏が「エンタメど真ん中」と評していたのが印象的だ。

果たして私はどちらと近い感想を得るのか。公開当日に見れるかどうかはここ数日の私の手腕にかかっているので、今日と同じく、明日も頑張らねばなるまい。

『天気の子』新海誠監督 賛否が分かれるものを作った|エンタメ!|NIKKEI STYLE

新海監督は同インタビューの中で、前作「君の名は。」でたくさんの新しい観客との出会いを得たと語っている。「君の名は。」以前の監督の作品が、コアなファンにより、限られたコミュニティで内向的且つ熱狂的に愛されていたことは有名だが、個人的には新国立美術館などで展開していた「新海誠展」などから受けた印象を踏まえるとより一層、大衆へとアプローチすると、どうしても作品としての自由度が下がるものなのだと強く感じた。

展示内容・みどころ|新海誠展「ほしのこえ」から「君の名は。」まで

映画とはもちろん大衆に向けて作られるべきものであるが、監督のこれまでの歩みと受けてきた評価を踏まえると、やはり独自性というか、その感性を存分に発揮した作品こそ見たいと思ってしまうのも、ごく自然なことであろうと考えられる。

さて先日、「君の名は。」のテレビ放送がなされたわけだが、様々な感想がネットの海で波となっていた。正直なところ、私はこの中の一部を見て、大変に心が痛んだ。内容としては、登場人物の言動に(その方にとって)理解しがたい、不快な点があり、そういった表現を行った監督の感覚を疑う、というものだ。

私はこれらの意見を見ながら、ああ、こういった場合、登場人物たちの思いや背景や、そういったものは想像されないのか。無視され、創造主である世界の外側の人間が叩かれてしまうのか、と感じた。

私にとって、物語の登場人物は、現実世界の他人と同ラインに並んでいる。登場人物が何かを話したり、行動するとき、それまでの人生がどのようにあって、どういう境遇で過ごし、どのような思考、感覚で暮らしているのかを限られたマテリアルから想像する。とてもじゃないが、彼ら彼女らの人生の一端を観測しただけで、言動の否定を行うことは容易いことではないのである。

もちろん、登場人物の考え方についていけない、みたいなことはめちゃくちゃにあるのだが、わざわざ表立って否定するまではないよな、と思うのだ。

むしろ、そのような表情やセリフを発するに至った彼ら彼女らのこれまでの経緯を想像し、愛らしさや尊敬や、恐ろしさみたいなものを感じ得るものなんじゃないかと考えている。

そのような状況下で、監督という外側への批判を見かけてしまったのだが、端的に言うと

「そんなんずるじゃん!!!」

と思った。

今回の件もそうだが、世の中の人々は、フィクションはフィクションとして捉えられる人が多く、何か物申したいことがある場合は、自分と同じレイヤーにいる人間を否定する。私はこれについては間違ったことではないと頭では分かっている。分かっているし、そうした人々に対して、大して否定する感情もない。だが、ただただ勝手に傷つく己が情けなくてしょうがなかった。

この一件で一日まるっと落ち込んだので、ちょうどウィーン・モダン展に向かう先で友人に経緯を話した。すると、彼女は真っ直ぐにぴしゃんと言い放った。

「もっさん(私)は、物語の何に感動して泣くの?」

彼女は、キャラクターに共感して、感情移入して泣くと答えた。私はというと、その問いに大変に言葉を詰まらせた。

「私、私は……、何に……、何で……」

千代田線乃木坂駅エスカレーターを登りながら、何十秒も悶々とする。ちょうど窓ガラスが見えて、外の光が駅構内に入り込んで来た頃、

「シチュエーションだわ」

と答えた。そうそう、シチュエーション。と、さも今思い出したという風合いで、何度も口に出して馴染ませた。

ちょうど前日、思い立って「宇宙兄弟」を久々に1巻から20巻まで、一気に読んだ。前回からかなり日が開いていたので、物語もそこそこ新鮮に楽しめたし、私は9巻の日々人の元に「ブライアン」が到着するシーンで、それはもう号泣した。ページを開いてすぐ、一瞬にして涙が出た。「うわぇあん」みたいな変な声を出した後、「くっ……く〜〜〜!うおわあ〜ん」と口から感情を漏らしながら、目からドバドバ塩水を出したのだ。

宇宙兄弟 コミック 1-35巻セット

宇宙兄弟 コミック 1-35巻セット

 

※私は過去、人生のどん底節を極めていた時、この漫画に救われている。9巻のここ以外でもめっちゃ泣いてる。

宇宙兄弟」は魅力的な登場人物ひとりひとりもさることながら、カメラアングルなども含め、状況描写が大変ドラマティックな漫画である。ただ私はこれを振り返っても、彼らの想いに共感して泣いているのではなく、明らかに「ブライアンが到着する」というシチュエーションに泣いている。日々人のことを心から応援している読者の一人だが、私は日々人ではないからにして、日々人の気持ちの全てを理解はできないし、「ブライアン」がやってきたその場にいる日々人のその感情は、日々人だけのものだと思うのだ。

そういった話をして、我々ふたりも感動のポイントが異なることを確認したのだが、彼女が「共感して泣く」と話したことで、私はその日もやもやしていた感情が鎮まっていくのを感じた。納得感があった。自分のこととして考えた時に嫌なことが描かれていたから、不快に思った人がいたという話で、あくまでも私とは感情移入の方向性が異なっただけだということで理解できたし、そこまでの想いを作品にぶつけられるということは、一定以上、真摯に作品を鑑賞されていることも感じ取れたためだ。

また同時に、意識的かどうかは人によるが、世の中には「共感」に重きをおいて、物語を味わっている人が大勢いる事実を噛み締める……。

うまい具合に気持ちに整理をつけて飛び込んだウィーン・モダン展の会場は、偶然にも「君の名は。」の中で主人公とマドンナのデートシーンの舞台として利用された国立新美術館。点数も情報力も圧倒的な展覧会に、心が引っ張られていくようだった。

ウィーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末への道

心も同時に足もたくさん使ったので、満足度と同じくらいの凄まじい疲労度もあり、芸術鑑賞はつくづく体力勝負だな……と感じた一日だった。

 

そんなことを思い出していたら、もう空がうっすらと白み始めている。きっと日中は雨が降るが、今日こそは洗濯物をある程度干して家を出なければならない。

「お忘れ物のないように」

家の近くに車が止まると、運転手のおじさんは絶妙なタイミングで後部座席の扉を開けた。遅すぎず早すぎず。私はますますこのおじさんが気に入りそうだった。

さあ、早く布団に潜り込んで、朝が来る前に一眠りしよう。そして朝のうちに起きて、洗濯物を干せるかどうか、念のため空の様子を見るのと、物干し竿から雨露が滴り落ちていないかを確認しなければならない。

うーん、起きれるのかな。不安だ。目が覚めたら腕に「お前は誰だ?」って書かれてたらどうしよう。

冗談はこれくらいにして、以上、これを7月16日の日記とします。

 

おやすみなさい。

ブログ以外のあれこれはGendarme△で。花本ほだかの創作置き場です。